母子ケア
24年ぶりにアップデートされた「妊娠中至適体重増加量」の目安 〜出生児の数十年後の将来を見据えて
妊娠中の適切な体重増加量をご存知ですか? 2020年に新しい数値が発表されました。じつは、それまで1997年に出された『妊娠中毒症の栄養管理指針(周産期委員会の報告)』の数値しかなく、23年ぶりのアップデートになりました。新しい「妊娠中の至適体重増加量」をまとめる小委員会委員長順天堂大学医学部・板倉敦夫教授にお話をうかがいました。
(プロフィール)
板倉敦夫
順天堂大学医学部産婦人科学講座・大学院医学研究科産婦人科学教授
順天堂大学医学部附属順天堂医院周産期センター長
1986年名古屋大学医学部卒業。専門は産婦人科周産期。名古屋大学医学部附属病院周産母子センター助教授、埼玉医科大学産科婦人科学教授を経て、2018年より現職。
■「小さく産んで大きく育てる」でいいのか
————妊娠期の適切な体重増加の目安を、23年ぶりに改定された理由や背景を教えてください。
板倉 妊婦さんは妊婦健診のたびに体重を量ります。妊娠中の体重増加量が母子の健康に大きく影響するからです。しかし、その推奨値が、23年も前の妊娠中毒症の予防のための栄養管理指針の数値しかなかったのです。妊娠中毒症という呼び方も変更されているというのに、推奨値はそのまま。これはおかしいだろうと。
改定できた背景には、周産期のデータの蓄積があります。現在日本では、年間90万人ほどお産されますが、そのうち、30万人分ほどのデータが蓄積されていきます。これを数学的に解析することで、もっともリスクを低くする体重増加量の推奨値を割り出すことができました。
————初歩的な質問になりますが、そもそも、なぜ適切な体重増加量の推奨値がこれほど重要なのでしょうか。
板倉 ひとつは母子の安全性の向上です。周産期に発生するイベント(早産、低出生体重児、巨大児、緊急帝王切開等)が発生する確率は、体重増加量に影響を受けることが明らかとなっています。日本は周産期の母子の死亡率が世界で一番少ない国ですが、それでも妊婦さんは年間20数人亡くなっていますし、赤ちゃんはもっと多く亡くなっています。
もうひとつは、赤ちゃんの数十年後の健康を守ることにつなげたいのです。
日本では伝統的に「小さく産んで大きく育てる」のが良いとされてきました。しかし現在までのデータから、小さく生まれると、将来生活習慣病のリスクが高くなると考えられています。
20年ほど前にヨーロッパで発表されたデータですが、第二次世界大戦中、オランダのある地域で飢餓が半年程度続きました。その時期に胎児だった人が、50〜60年後に生活習慣病のリスクが高かったことが疫学的に認められています。要因のひとつが低出生体重児といわれています。
じつは近年、日本では低出生体重児が増えています。妊娠中の至適体重の目安も現在の事情に即した数値であるべきだと考えたのです。
表1:妊娠中の体重増加指導の目安
出典:「日本産科婦人科学会雑誌」(2021年第73巻第6号642)
■出生児の将来の生活習慣病のリスクを小さくしたい
————出生児の将来に関わってくるのですね。
板倉 そうです。日本の出生児体重は平均値では3010gくらいですが、1980年代と比べると、200gほど減っています。相当、小さくなってしまった。先進国の中ではおそらく一番小さいでしょう。心配なのは低出生体重児(2500g未満)の割合が高いことです。OECD諸国の中でギリシャと並んで高い(図1)。
図1:低出生体重児の割合の国際比較(2017年)
出典:厚生労働省「活力ある持続可能な社会の実現を目指す観点から、優先して取り組むべき栄養課題について」
https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/000761522.pdf
胎児期の環境が、将来生活習慣病発症に関与することが知られています。これをdevelopmental origins of health and disease (DOHaD)説と呼び、学会等でも生活習慣病の予防に関する研究が進められています。まだ、どのような環境が最適であるのかはわかっていませんが、低出生体重児はよくない指標の1つであるとされています。そこで、先ほどの周産期データベースから約42万人のデータを抜き出し、妊婦さんの体重がどれだけ増加した場合に、また、どれだけ増加しない場合に低出生体重児をはじめとした周産期のイベントが多いのか、少ないのかなどを割り出しました。
適切な体重増加量の目安を妊婦さんにお伝えすることで、周産期のリスクを減らし、ひいては数十年後の生活習慣病のリスクを下げたい……。これが「至適体重増加量」策定にあたっての大きなねらいです。
■数字が“ひとり歩き”しないように。妊婦自身が体重コントロールできるツールを
————以前の目安は低体重、普通体重、肥満と3分類でしたが、新しい「体重増加量の目安」は妊娠前体格で4分類されています。肥満が2つに分けられています。
板倉 日本肥満学会の分類に準じていますが、じつは、体格の基準は世界と日本では異なります。WHOの基準では肥満はBMI30以上ですが、日本では25以上です。日本人はBMI25以上になると、高血圧や糖尿病などのリスクが上がってしまうからです。肥満は生活習慣病の一種ともみなされており、日本人では健康な体づくりにはBMI25未満が望ましいということです。
ところが、妊婦さんの体重増加と周産期に発生するイベントの予測確率をグラフにしたところ、低体重(BMI < 18.5)、普通体重(18.5≦ BMI < 25)、肥満1(25≦ BMI < 30)では、それぞれV字型を示し、イベント発生の確率がもっとも低い体重増加を定めることができました。ところが肥満2以上(30≦ BMI)では、逆L字となり、まったく違った曲線を描きました。そのため、WHOの基準と同様に4群に分類し、BMI30以上の妊婦は基本的に個別対応とし、体重の上限を5kgまでとしました(図2)。
図2:板倉先生作成の妊娠中の体重増加量と周産期イベント予測確率のイメージ
左:低体重/普通体重/肥満1 右:肥満2以上
————産婦人科の医師から妊婦さんには、どのように指導されることを望みますか?
板倉 今回の「妊娠中の体重増加指導の目安」はあくまで目安であり、推奨値ではありません。データベースから数学的に解析した数値ですし、本当はどれくらいの体重がいいのかは妊婦さんによって異なるからです。
とくに、妊娠前体格が低体重の妊婦さんにとって「12〜15キロ増量しなさい」というのは、かなりのストレスかもしれません。妊婦健診のたび妊婦さんは体重測定をして「増えすぎ」とか「もっと増やして」とか指導されるのはつらいですよね。それが過度なストレスになることも懸念されることから、「指導の目安」としました。数字のひとり歩きになるのは避けたいですからね。
それに、適切な体重増加量は初産か経産婦かによっても異なります。理想としては、妊婦さん自身が、自分の体格や体調を踏まえたうえで、目安を考慮して適切な体重増加量はこれくらいと理解して、自主的にゴールを定めてコントロールすることですね。妊婦さんそれぞれの考え方があっていいと思うんですよ。将来的には、体重コントロールを助けるアプリケーションができるといいなと思っています。