
リハビリテーション
「ノーリフティングケア」の導入から定着まで~介護施設における普及のポイントとは~
人力で抱え上げるのではなく、電動リフトなどの移乗機器を用いるため、ケアする側/される側双方に優しいノーリフティングケア。しかし、機器を導入することに心理的抵抗があったり、使いこなすのが難しかったりと、介護施設においても十分に普及していないのが現状です。どうすればスムーズに導入し、成果につなげることができるのでしょうか。ノーリフティングケアを取り入れることで様々な課題解決につながったという特別養護老人ホーム「ウエルプラザ高知」で、施設長の津野高敏さん、業務主任の松村美和さん、介護主任の木椋博規さんと友草妙子さんにお話を伺いました。
【ウエルプラザ高知】
社会福祉法人土佐香美福祉会が高知県高知市で運営する、全室個室ユニットケアサービスの特別養護老人ホーム。入居定員は80人(1ユニット10人×8ユニット)で、介護度4以上の方が中心。通所介護事業所(ウエルデイしなね)、短期入居生活介護事業所(ウエルショートしなね)も併設されている。
前列左から津野高敏さん、松村美和さん、友草妙子さん
後列左から木椋博規さん、下元佳子さん(一般社団法人ナチュラルハートフルケアネットワーク)
■利用者にもスタッフにも優しいケア
――貴施設がノーリフティングケアに注目したきっかけと導入時の利用者の反応を教えてください。
津野:きっかけになったのは、同じ法人が運営する特別養護老人ホーム「ウエルプラザ洋寿荘」からノーリフティングケアの素晴らしさについて報告を受けた前施設長が、「この革命的な手法をうちでも取り入れよう」と心を決めたことです。2016年に主任クラスの数名が高知県主催の「高知県福祉・介護就労環境改善推進事業のノーリフティング研修」を受講し、確かにご利用者にもスタッフにも優しいケアであることを体感。それ以降、施設内に推進チームやノーリフティング委員会を立ち上げ、普及と実践に力を入れてきました。
松村:ノーリフティングケアでは無理な力がかからないので、ご利用者がリラックスしたまま移乗でき、転倒などの事故を減らすことができます。また、これまで介助者2人以上で行っていた移乗を1人で行えるため、離床する機会が増えてリハビリテーションにもプラスの効果があります。また、トイレへの誘導が容易になったことにより、多くのご利用者がおむつを使わずに済み、尿路感染症のリスクも低下しました。
木椋:最初はリフトなどの移乗機器に驚いていたご利用者も、今ではすっかり慣れたようです。実は、「抱える介助」が当たり前だったころは、スタッフに「申し訳ないね」と謝ったり、移乗そのものを遠慮したりするご利用者もいました。しかし、ノーリフティングケアを取り入れてからは、そうした様子は見られなくなりました。もちろん、こうした精神的負担を感じる必要は本来ありませんが、それでもご利用者に気兼ねなく過ごしてもらえるのはうれしいことです。
―スタッフや施設側にとっても多くのメリットがあるそうですね。
松村:そもそも高知県では、介護施設における労働安全や離職予防への取り組みとしてノーリフティングケアを推進してきたそうです。現場の感覚としても、ノーリフティングケアの導入でスタッフの負担が軽くなったことは間違いありません。当施設の介護スタッフは、平均して日勤帯で20回、夜勤帯で30回ほど移乗介助を行っています。以前は、腰痛や腰の張りを訴えるスタッフがたくさんいて、特に夜勤明けでは痛み止めを飲んだり、コルセットを巻いたりする姿も散見されました。しかし、ノーリフティングケアの導入後はそうした訴えが激減し、腰痛を原因とする退職者も大幅に減りました。妊娠中のスタッフですら、無理なく移乗介助ができるほどです。
友草:かつては夜勤を負担に感じる声も多かったですが、今ではずいぶん雰囲気が変わりましたね。夜勤明けということが分からないくらい元気な様子で、さわやかな顔のまま退勤していくスタッフが増えたことを実感しています。また、負担が減ったことにより、さらにご利用者への接し方が優しくなり、丁寧なケアにつながっていると思います。
津野:褥瘡や外傷が減ったことで、外来受診数も大幅に減少しました。受診のためには看護職員と運転手が同行する必要があり、半日がかりになることも多かったのですが、そのコストをカットできて経営改善という観点からもメリットが大きいですね。また、退職者が減ったことで、採用にかかるコストも抑えられています。「ノーリフティングケア」というキーワードは学生さんにとっても魅力的なようで、安定した新卒採用にもつながっていきました。
■まずはスタッフ自身がその魅力を理解して
――当初から現在に至るまで、介護スタッフへの教育はどのように行ってきましたか。
木椋:当初は「移乗機器なんて自分には使いこなせない」「ケアの方法を変えるとかえって時間がかかる」といった反対意見もありましたが、リーダーたちが実践する姿を見せながら、粘り強く魅力を伝えていきました。2016年の時点で高知県福祉・介護就労環境改善推進事業のノーリフティング研修と併用し、高知家統一基本ケアセミナー ファーストステップを全体の7割ほどのスタッフに受講してもらったことで、一気に流れが変わった印象です。
松村:同研修には2018年にも参加したのですが、そのときはすべてのスタッフに受講してもらいました。リフトやグローブ、シートなどを用いたケアを、スタッフ全員に体感してもらうことが大切だと思ったからです。「こんなに安定した姿勢が保てるのか!」「こんなに腰が楽なのか!」といった素直な感動が、ノーリフティングケアに対する意識を変えるきっかけになったようです。今後は、リーダー養成のクラスにも順次挑戦してもらい、スタッフ全員が指導者として認定されるレベルを目指していきます。
友草:同研修は、終業後の18時から3時間、数回にわたって行われました。講師を務めていただいた一般社団法人ナチュラルハートフルケアネットワークの下元佳子さんからは、「嫌々ながら参加しているような人がおらず、皆さん熱心なので感動しました」と言っていただけました。もちろん、下元さんの教え方がとても分かりやすかったためですが、時間をかけて伝えてきたノーリフティングケアの重要性が、スタッフに浸透していたことも影響しているかもしれません。
――介護施設でノーリフティングケアを普及させるためのポイントは何でしょうか。
津野:「施設として時間やお金をかけてでも取り組むべきことだ」という姿勢をしっかり打ち出すことが重要だと思います。例えば、先ほど話があった研修への参加は時間外労働の扱いで残業代を出し、研修費用などもすべて施設が負担していました。また、ノーリフティングケアの導入当初は、勤務シフトやルーティーン業務の見直しも行うべきです。2人1組で実施していた移乗介助が1人でできるようになり、現場の動き方が変わってくるためです。
松村:継続的な教育も欠かせません。当施設では週1回の「ノーリフトミニ研修」を行っており、水曜日の15時半~16時半の間、各フロアから2人以上が参加してノーリフティングケアについて学ぶ機会を設けています。介助時の姿勢や福祉用具の使い方、アセスメントなどを実践的に学ぶもので、OJTの柱ともいうべき位置付けです。また、新卒採用でも中途採用でも、研修内容には必ずノーリフティングケアを含めるようにしています。
友草:当施設のアセスメント表とADL表には、使用する福祉機器に関するチェック項目を設けています。機能訓練指導員と介護主任、フロアリーダーを中心に、最適な移乗方法についても定期的かつ細やかに評価するようにしています。こうした内容はケアプランや機能訓練計画書にも反映。統一した方法を示すことにより、スタッフは迷いなくケアに当たることができています。
■「誰に、何を、どんな目的で」を明確に
――移乗機器の現場への導入は、どのように進めてきましたか。
松村:下元さんからのアドバイスもあり、「誰に、何を、どんな目的で使用するか」を明確にするよう意識していました。まずはご利用者の評価に基づいて、必要な製品と台数を割り出しました。そして、使用方法についてスタッフに伝え、誰もが安心して使えるようになるための時間を確保しました。不安要素が多いとなかなか前へ進めませんから、できるところから無理なく取り入れることが大切だと思います。当施設の場合は、2016年に全スタッフへグローブ(約50枚)を支給したのが大きな転換点となりました。
木椋:グローブは、座位や臥床時の除圧、姿勢修正、ベッド上での側方移動などを目的に導入したもので、必要時にすぐ使えるよう、ウエストポーチに入れて常時携行してもらうことにしました。スライディングシートについては、ベッド上で過ごすことが多いご利用者の部屋には常置して、いちいち保管場所まで取りに行かなくていいようにしました。リフトについては、ユニットごとに管理方法が異なりますが、いずれにしても機器の移動距離を極力短くできるような工夫が必要でしょう。
津野:現在のところ、スタンディングリフト9台、床走行リフト2台を導入しており、ノーリフティングケアに生かしています。そのほか、スライディングシートが39枚、移乗用ボードが27枚あり、ボードの使用頻度が高くなったために跳ね上げ式車椅子も追加購入しました。公的な助成金もうまく活用しながら、必要な機器や用具を段階的に増やしているところです。
――今後、ノーリフティングケアの導入を検討している介護施設の皆さんへメッセージをお願いします。
松村:リフトなどの移乗機器に「温かみがない」という印象を持つ方もいるかもしれませんが、実際にノーリフティングケアをやってみれば「いいことしかない!」と実感できるはずです。最近は、ご利用者のご家族からも「安全に動けていいですね」と前向きな言葉をかけていただくことが増えてきました。ご利用者にとってもスタッフにとっても優しいケアであることを、もっと多くの介護職に理解してほしいと思っています。
津野:かつては「介護の仕事ってどう?」と友人に聞かれても、「大変だからやめておいたほうがいいよ」と後ろ向きのアドバイスをすることが多かったです。しかし、ノーリフティングケアの効果を目の当たりにしてから、自分の意識も大きく変わったように感じています。今なら友人にも「素敵な仕事だよ」と自信を持って言えますね。ノーリフティングケアの魅力が広まることで介護業界のマイナスイメージが払拭され、ひいては介護職の社会的地位が向上するきっかけになるのではないかと期待しています。
※特別養護老人ホームウエルプラザ高知様のノーリフティングケアのお取り組みについてのご講演を視聴いただけます。ご希望の方は、↓よりお申込みください。
