ノーリフティングケアによる食支援〜施設はどう変わったか〜

ノーリフティングケアによる食支援〜施設はどう変わったか〜

いま、介護の現場で“人力で持ち上げない”ノーリフティングケアが広まりつつあります。入居者、利用者のQOLを向上させるとともに、介護施設職員の身体的負担をも軽減するこの取り組みを、食支援に活用している施設があります。その実例を「特別養護老人ホーム 横浜市浦舟ホーム」チームリーダーであり介護福祉士の太田純平さんにお伺いしました。

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【横浜市浦舟ホーム】

社会福祉法人横浜市福祉サービス協会が運営。利用定員介護老人福祉施設74名、短期入所生活介護8名。従来型特別養護老人ホームで、4ユニットを有する。個別性を重視したケアを実践している施設で、地域のニーズに対応するために重度認知症の方や医療依存度の高い方を積極的に受け入れている平均要介護度約4.64(全国平均3.9)。2021年度には「WEBふくしフェア」の「全国ノーリフティングポスター発表大会」の大賞を受賞。さらに企業賞を二社から受賞。

■個別ケアから始まったノーリフティングケア

――浦舟ホームの特徴を教えて下さい。

太田:当ホームは重度認知症、医療依存度の高い方を積極的に受け入れています。とくに認知症重度の方が多く、日常生活自立支援度でいうと3以上の方が7割を占めています。同時に喀痰吸引や在宅酸素が必要あるいはバルーンカテーテルや胃ろうを使っている方、インスリン注射が必要な方など医療依存度の高い方も多い施設です。

その中で私たちは、個別ケアにノーリフティングケアを取り入れていました。ノーリフティングケアを取り入れたことで、お客様にさまざまな変化がありました。ある方を例としてご紹介します。

体重60kgほどの男性で、かつては移動や立位のときなど、職員が二人で抱えて移乗介助をしていました。ところが、床走行の電動リフトに変えて6か月たった頃、ベッドからの移乗の際、スライディングシートを活用して滑って移乗できるようになったのです。

床走行リフトではスリングシートを使って移乗を行いますが、この方はスリングシートでご自身が姿勢を保とうとすることで体幹部分が鍛えられ、身体を支えられるようになったのです。加えて、大腿部の裏側もしっかり加重できるようになりました。

つまり床走行リフトを使うことで、座位姿勢はじめ姿勢を保つ力が徐々についてきたのです。そのおかげで、ご自身でポータブルトイレに移乗できるようになりました。

さらに4か月後には、つかまり立ちや、方向転換して移乗するという動きも可能になりました。

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 さらに、身体だけではなく心にも変化がありました。この方は、もともとトイレを使うときに、

「ほんとうは座って排泄したい。でも5年以上も介助してもらっているし、毎日下剤を飲んでおむつに排泄している状態ではムリだよね」と諦めていました。

しかしスライディングシートを使い、ポータブルトイレで5年ぶりに座って排泄することができて、そのときに、「ああ、スッキリした。最高だ」と、満面の笑顔でおっしゃったのです。笑顔を見て私たちも「身体が良くなるだけではなく、心もこんなに変化するんだ」と学ばせていただきました。

――素晴らしい事例です。引き続き、ノーリフティングケアと食の関係について教えてください。

太田:こうしてノーリフティングケアを行う中で、私たちはだんだん、ノーリフティングケアが食べるケアにつながっていることに気が付き始めました。

再度、お客様の例をご紹介します。入所時はベッドに寝たままでずっと天井を見つめ、お世話もされるがままという状態だった女性のケースです。ノーリフティングケアによって、まず足底をベッドにつけられるようになり、続いて声をかけると「1,2の3」で臀部を持ち上げられるようになりました。やがて寝返りができるようになり、続いてつかまり立ちができるようになりました。

驚いたのはそれだけではなく、食事にも大きな変化がありました。

入所当時は食事の際、ただ座っているだけでした。しかし身体の状態が良くなるにつれ、まずお皿を持てるようになり、次第にご自分でスプーンを使ってひと皿ずつ召し上がるようになったのです。これには本当に驚きました。

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――同時に、心の変化も感じられたのでしょうか?

太田:まさにその通りです。私どもが強く感じたのは、ノーリフティングケアによって身体だけではなく心が動いて、それによって脳に刺激があったという良い循環を実感できました。

「できない」と思っていたことが1つできた、今日できた、明日もできる……できることの積み重ねのきっかけが、ノーリフティングケアであると気がついたのです。

――施設全体に意識を共有させるための試みが始まったそうですね。

太田:ノーリフティングケアと食支援を合わせた個別支援が進められるのではないかと考えて、2015年にホーム内に「包括ケア委員会」を発足させました。目標は「おいしく安全に食べるケア」です。

まず食べるケアを5つのステップに分けます。

  1. ノーリフティングケア
  2. 排泄のケア
  3. ポジショニング(寝姿勢、食事姿勢)
  4. 口腔のケア
  5. 食事介助

施設内の多職種それぞれからアセスメントをして、計画を立てて「目指す姿共有シート」を作成します。さらに毎月包括ケア委員会で学びの機会を持ち、計画に落とし込んで実践していく。これを繰り返しました。そして3か月ごとにアセスメントを見直して、“うれしい変化”を共有していくようにしました。

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――取り組みの内容についてもう少し教えて下さい。

太田:どのようにして取り組んでいったかについてお話します。

まず、各ユニットの中でお客様の中から取り組みの対象者を決めます。そして、その方の状態を「KTバランスチャート(口から食べるバランスチャート)」(※1)に基づいて、介護職、看護職、管理栄養士という多職種(当ホームにはリハビリ職員がいないのでこの3職種になります)で、13の視点から対象となる方の困りごとや強みをチャートにして把握していきます。

※1
KTBCは、医学書院『口から食べる幸せをサポートする包括的ケア 第二版』を参考にしたものです。13の視点は、①食べる意欲、②全身状態、③呼吸状態、④口腔状態、⑤認知機能、⑥咀嚼・送り込み、⑦嚥下、⑧姿勢・耐久性、⑨食事動作、⑩活動、⑪接触状況レベル、⑫食物携帯、⑬栄養 となります。これらを対象者個々に共有シートとして示していきます。

そして、まず最初に「この方はどこを目指すのか」という目的を共有し、取り組みます。そして学び、実践を繰り返しながら、3か月ごとにアセスメントを行い、また共有シートを書き換えていくのです。

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包括的ケア委員会のカンファレンスの様子。

たとえばある方の場合は、「誤嚥性肺炎での入退院を繰り返している」という現状があり、なぜそうなるのかという原因を調べ、チャートに示しました。3職種で考えた結果、目指す姿は「誤嚥せず、楽な姿勢で食事をする」に設定しました。

これをベースに取り組む内容を決め、実践しました。取り組み内容の土台にあるのはノーリフティングケアです。

ユニットには担当委員がいまして、委員は学びの機会にユニットの職員それぞれの専門性の中で何ができるか、どう関わるかを伝え、先述の5つのステップ(①体の自然な動き=ノーリフティングケアの基本、②排泄のケア、③ポジショニング=寝姿勢、食事姿勢、④口腔のケア、⑤食事介助)に沿って、対象の方それぞれにプランを作っていきます。

包括的ケア委員会では一定時間を取り「●●さんはポジショニングをもう少し考えたほうがいいね」「食事介助の方法を見直せるよね」など1つ1つ確認していきます。

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私どもの施設では、これまで「目指す姿の共有」はなかなかできていなかったと思います。会議での決定事項を職員に伝達し、職員は決まったことをやっていく……という面がどうしてもあったと思います。業務を行う前に「全員で目指す姿を共有する」ことで、職員の意識も変わったと思います。

――取り組みによってどんな変化が起きましたか?

太田:アセスメントの評価としては、KTバランスチャート13項目で評価が高くなった方が8割に上りました。さらに、当ホームに来る前の老健施設やご自宅では口から食べることはNGとされ、胃ろうからの摂取をしていた方のうち、5名が経口摂取に移行することができました。

また興味深かったのが、吸引や褥瘡の処置をしていた方の割合が減ったことです。これはノーリフティングケアだけではなく、ポジショニングとか排泄のケアなどを併せて考えていった結果、呼吸状態が良くなって喀痰吸引をしなくてよくなったとか、身体が動くことで褥瘡が減っていったということだと思います。

ノーリフティングケアに取り組んでいなかった10年前、お恥ずかしい話ですが浦舟ホームでは吸引が必要な方は21%、褥瘡の処置が必要な方は43%でした。

それが包括的ケア委員会の取り組みをはじめて1年後には吸引が必要な方16%、褥瘡処置の必要な方は24%まで減っています。2020年には、喀痰吸引と褥瘡の処置、必要な方の割合はそれぞれ5%と激減しました。

もちろん、入居者の入れ替わりはありますが、平均の要介護度は高いままなので、明らかに取り組みをしたことでの成果が出ていると思います。

■「嚥下ショート」の試みについて

――ショートステイでも取り組みをしていらっしゃいますね。

太田:鶴見大学の高齢者歯科学講座の講師である菅武雄先生が提唱されている「嚥下ショート」です。あまり耳慣れない言葉かと思いますが、ショートステイの間に嚥下の状態を少しでも良くすることはできないかという取り組みです。

誤嚥性肺炎で入院される高齢者は少なくありません。また肺炎の治療が終わっても、その後、口から食べることができなくなる方もまた、少なくないのです。

その結果、胃ろうを作り退院しても、自宅でなかなかうまくいかず、療養型の病院へ入院する……というケースがあります。

肺炎のリスクが減ったとしても、おいしく安全に食べることができなくなるのはつらいことです。ショートステイの期間は1週間〜2週間あります。この短期間に集中して治療やリハビリを行い、嚥下や栄養状態を良くして帰宅することができないかと取り組みをはじめました。 

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「嚥下ショート」の様子。

もちろん、病院などとの情報共有を行い、口腔ケアや嚥下食の選択、食べる姿勢などをホームであれこれ取り組んでみるわけです。そして状態が良くなったら「この方はこういう取り組みで状態が良くなりました」と、他の方にもご提案できるようになればと思っています。

ショートステイの期間を利用し、ホームが「おいしく安全に食べる」取り組みのクッションになれたらという思いです。

実際に、ホームにいらっしゃる前は、奥様の介助で食事量の1〜2割程度しか食べられなかった男性が、ショートステイの利用を重ねていく中で、なんと10割食べられるようになりました。

この方については、ノーリフティングケアを基本として、まず菅武雄先生による嚥下内視鏡検査を行って現状を把握しました。その後、姿勢の調整、口腔のケア、食事介助、食事形態などを多職種で検討し、連携しました。

以前は、口も閉じられない状態でしたのでお話もできませんでした。それが、「昔は学校で卓球を教えていたんだよ」とか、「石原裕次郎と同じバーに行ってたこともあったね」など、お話もできるようになりました。

浦舟ホームでは、これからも最後まで口からおいしく、安全に食べられることを目指したい、そしてその土台となるノーリフティングケアの体制をしっかり整えて行っていきたいと思っています。そしてこの取り組みを業界全体に広めていければと思っています。

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太田純平(おおた・じゅんぺい)

介護福祉士、社会福祉士。社会福祉法人横浜市福祉サービス協会 横浜市浦舟ホームで、チームリーダーを務める。おむつフィッター2級、NHNノーリフティング基本技術認定講師、神奈川摂食嚥下リハビリテーション研究会世話人。

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