
母子ケア
すべての新生児に聴覚スクリーニングを ~早期診断・早期療育のための課題と展望~
先天性の難聴は発見が遅れると、聞く力、話す力に障害が出ます。早期発見が重要なため、いま、日本では「新生児聴覚スクリーニング」を受けることが推奨されています。しかし、この検査は基本的に自費診療のため、公費補助の有無、また、その金額は都道府県によってさまざま。実施率は上がってきてはいるものの、まだまだ課題があるといいます。この検査に詳しい昭和大学医学部産婦人科学講座教授・関沢明彦先生にお話を伺いました。
関沢明彦
昭和大学医学部産婦人科学講座 教授
昭和大学医学部卒業。同産婦人科講座入局、国立精神・神経センター国府台病院産婦人科、Tufts-New England Medical Center (Boston) , Research Fellow、昭和大学医学部産婦人科学講座助手、准教授を経て、平成25年より現職。専門は周産期医学(妊娠高血圧症候群研究など)、臨床遺伝学。
難聴は早期診断・早期療育でQOLが大幅に改善
そのきっかけが「新生児聴覚スクリーニング」
難聴とは、音が耳に入ってから脳に伝わるまでのどこかの段階で障害が起こり、音が聞こえにくくなったり、まったく聞こえなくなる症状をいいます。
「先天性難聴の発生頻度はおおよそ1000人に1人で、先天性疾患のなかでも高頻度です。早期に発見、療養されれば、難聴児のQOLが大幅に改善されるため、なるべく早くスクリーニングを行うことが大切です」(昭和大学医学部産婦人科学講座・関沢明彦教授)
難聴があることに気づかず、2歳過ぎになって言葉が出ないことから検査、診断を行うと、治療や補聴器の装用などの療育が3歳近くになることも少なくありません。
「新生児期に両耳の難聴がある場合、良好な言葉の習得のためには、生後6か月以内に療育を開始する必要があります。そのためには、新生児期にスクリーニングを終えているのが理想です。アメリカには、生後1か月までに聴覚スクリーニングを受け、生後3か月までに診断を終え、生後6か月までに療育を開始するべきだという『1-3-6ルール』(*)があり、2004年の段階で92%の新生児の聴覚スクリーニングが達成されています」(関沢教授)
(図1)新生児聴覚スクリーニングと早期療養開始時期 Kasai N et al.Ann Otol Rhino Laryngo l Suppl 2012, 202, 16-20
出典:日本産婦人科医会HP「9.新生児聴覚スクリーニング検査について」
こういった早期スクリーニングの重要性に加え、乳幼児への人工内耳の埋め込み手術の安全性、有効性も高まってきました。この手術は、かつては成人が対象でしたが、日本耳鼻咽喉科学会ガイドラインによると、1998年には原則2歳以上、2014年には原則1歳以上(体重8kg以上)と対象が引き下げられています。
しかし、「海外では1歳未満で手術をする国もあり、日本も生後6か月以上に変えていく必要がある、ともいわれています」(関沢教授)
検査機器も自動解析機能を持つものが開発され、短時間で精度の高い検査が行えるようになりました。このような背景もあり、「我が国では2000年に新生児聴覚検査モデル事業が始まり、2007年に新生児聴覚スクリーニング検査が一般財源化されました」(関沢教授)
一般財源とは、用途が特定されず、地方自治体の裁量で自由に使える財源のことです。
「日本産婦人科医会や日本耳鼻咽喉科学会など関連9団体と9福祉団体が厚生労働省に検査の公費支援の拡充を求める要望書を出したり、市区町村に働きかけたりしたところ、検査を実施する都道府県が少しずつ増えてきました」(関沢教授)
『産婦人科診療ガイドライン産婦人科編2017年』では、「インフォームドコンセントを取得した上で聴覚スクリーニング検査を実施し、母子健康手帳に結果を記載すること」が推奨されるようになりました。
検査機器の進化で新生児への負担は減
今後、聴覚スクリーニングに望まれるのは「無料化」
耳は、入り口から鼓膜までの「外耳」、鼓膜から奥の「中耳」、さらに奥の「内耳」から成り立っており、中耳と内耳の間は「耳小骨」という小さな骨でつながっています。
音が外耳から入ってくると鼓膜が振動し、それが内耳、耳小骨、内耳へと伝わり、電気信号に変換されて神経を伝わって大脳に伝わり、「聞こえた」と認識できます。
外耳と中耳は音を伝える役割、内耳は音を感じて脳に伝える役割をしています。難聴は外耳と中耳の障害によって音がうまく伝わらない「伝音難聴」と、内耳や脳に問題があり、音をうまく感じ取れない「感音難聴」の2種類に分けられます。
新生児聴覚スクリーニングには、聴性脳幹反応検査(ABR)と耳音響放射検査(OAE)の2つがあります。ABRは従来から聴覚障害の診断に使われていましたが、その結果を判定するには専門知識が必要でした。この判定を自動化したものが自動聴性脳幹反応検査(AABR)です。
ABRは静かな環境で時間をかけて行う必要があったため、入眠剤で赤ちゃんを眠らせ、防音室で検査が行われていました。しかし、AABRは数分間で行えるため薬剤は不要。また、ベッドサイドで行うことができるため、赤ちゃんの負担はかなり軽減されました。具体的には、赤ちゃんの頭部などに電極を貼り、イヤホンからささやき声程度の音を聞かせ、内耳から中枢の反応を電極で検出します。
一方、OAEは赤ちゃんの耳にプローブを挿入し、出された音に対して内耳から帰ってきた反響音を検査します。こちらもAABRと同様に、短時間で、ベッドサイドで行えます。
しかし、「OAEでは感音性難聴は見逃されてしまい、検査結果がパス(反応あり)になってしまうという欠点があるため、厚生労働省はAABRでの検査を推奨しています」(関沢教授)
産科施設がAABRを購入する際、費用助成をする都道府県が増えてきたこともあり、検査が可能な施設が増えています。
「日本産婦人科医会が行った調査によると、検査が可能な施設(AABR、OAEを持っている施設)は2016年の時点で94%(2020年は98%)。持っていない施設で出産した人に対しては、検査ができる他の施設を紹介するなどの対応が求められているため、現在では、ほぼ100%の人が検査を受けられるようになっています。しかし、2016年の検査率は88%。これは、12%が検査を“受けない選択”をしているということです。理由は経済的なこと、つまり、公費補助がないことだと推察されます」(関沢教授)
公費補助を実施している自治体は、2019年の段階で43%です。自己負担額の平均は約5000円、公費補助のある自治体における自己負担額の中央値は約3000円です。
「自費診療だと経済的な理由で検査ができない子が出てくるので、検査の無料化が望まれます。また、産科施設がAABRを購入する際の費用の補助も課題です」(関沢教授)
(図2)各都道府県での平均的な検査の自己負担額
出典:「すべての新生児が聴覚スクリーニング検査を受けて確実に早期療育につながる体制の実現に向けて」(日本産婦人科医会/2019年5月30日)
実施率アップだけでなく検査後のフォローも重要
望まれる行政システム
新生児聴覚スクリーニング検査でリファー(再検査)になると、日本耳鼻咽喉科学会が指定する精密聴力検査機関を紹介され、そこで、精密検査を受けたり、療育を始めたりします。
しかし、「施設の数が全国に163と少ないこともあり(平成29年1月時点)、スクリーニング検査は受けたけれど、精密検査には行っていない、ということが起こります。こうなると、適切な療育開始時期を逃しかねません。これからは産科、耳鼻科、小児科の連携や、医療、福祉、教育の連携により、切れ目のない支援体制を構築することが大切です。理想的なのは、公費でスクリーニングを行うとともに、市区町村がリファーになった人を把握し、療育のステップをフォローすることです。こういった体制づくりのために、厚生労働省からは都道府県単位の協議会の設置が求められています」(関沢教授)
日本産婦人科医会が行ったアンケートによると、2016年の段階で協議会を設置していたのは22都道府県。徐々に増えて、2019年では、合計38都道府県が「協議会の設置あり」または「予定あり」と答えていました。
「長野県などは先進的で、療育施設のなかに相談窓口を設置し、そこにケアする人も置いているそうです。しかし、都道府県によって差があると、里帰り分娩で居住地から離れて出産した場合に支援が行き渡らないといった可能性があります。そういった点からも、全国一律の検査実施と公的支援が望まれます」(関沢教授)
(図3)都道府県における協議会の設置状況
出典:「すべての新生児が聴覚スクリーニング検査を受けて確実に早期療育につながる体制の実現に向けて」(日本産婦人科医会/2019年5月30日)
聞こえない人生が聞こえる人生になることは、本人のQOLが上がることはもちろんですが、社会的な意義もあります、と関沢教授。
「厚生労働省の『平成18年身体障害児・者実態調査』によると、日本の聴覚障害児(18歳未満)は1万5800人です。その子たちが18歳以上になった時の就業率は約2割。そして、低賃金という現実があります。新生児期に公費でスクリーニングを行い、難聴を克服することができれば、普通学校への就学や就職が可能になり、社会人として税金を納めてくれる立場になります。そう考えると、国は検査を無料化しても費用対効果はあるはずです」(関沢教授)
子どもの幸せと社会の幸せ、両方を実現するためのシステムの実現が望まれています。