NHSから始まる! 難聴者が生き生きと暮らせる共生社会に向けて

NHSから始まる! 難聴者が生き生きと暮らせる共生社会に向けて

障害を持った人たちが、生き生きと暮らせる共生社会の実現をめざして−−−−−−。

難聴の人の治療やサポート、さらに共生社会の実現に力を注ぐ、中川尚志先生(九州大学)。中川先生は、早くから人工内耳の手術を手がけ、長期にわたり、たくさんの難聴の人に寄り添ってきました。その経験と実績から、新生児聴覚スクリーニング(NHS)の重要性についてうかがいました。

■プロフィール

中川尚志(なかがわ・たかし)

九州大学大学院医学研究院 臨床医学部門外科学講座 耳鼻咽喉科学分野教授

九州大学医学部卒業。九州大学大学院医学博士。米ベイラー医科大学耳鼻咽喉科研究助手、福岡大学耳鼻咽喉科を経て、2015年より九州大学耳鼻咽喉科教授。厚生労働省の「難聴児の早期発見・早期療育推進のための基本方針作成に関する検討会議」の座長。

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■20年以上、福岡で難聴の人たちを診てきた

−−−−−−子どもの難聴の問題に取り組み始めたきっかけを教えてください。

1980年代後半、私は福岡で耳鼻科の医師になりました。90年代に入り、ようやく日本で人工内耳の手術が行われるようになりました。その頃は、九州の子どもの患者さんが手術を受けるには、大阪や東京まで行かなくてはなりませんでした。この状況を打破したいと考え、難聴児教育の先生方と情報交換をするなど、おつきあいが始まりました。

私が最初に子どもの人工内耳の手術をしたのは2000年、福岡でした。しかし当時は人工内耳を批判される先生や当事者が多かったのです。

−−−−−−なぜ批判されたのですか?

手話の否定につながるからです。それまでろうの人たちは、ずっと手話や口話を使って生活してきたわけです。人工内耳を使うということは、音声言語のほうがすぐれているという考えに基づく、つまり手話を否定するものだと。この意見に私はハッとさせられました。それをきっかけに、人工内耳に反対している方やろう学校の先生たちから、さまざまなお話をうかがうようになりました。

私の場合、九州大学、福岡大学と勤務地がすべて福岡市内であったことが幸いしました。かれこれ20年以上、多くの難聴のお子さんを診る機会に恵まれました。乳幼児期から就労までおつきあいが続いている方もおられます。

−−−−−−たくさんのケースを見て、難聴の問題をどのようにとらえていらっしゃいますか。

ひとつ、みなさんにぜひご理解いただきたいのは、難聴の問題は「聞こえ」だけではないということです。たとえ、聞こえがうまくいっていても心の問題を抱える人も多くいらっしゃいます。

たとえば、人工内耳を入れ、音声言語を使い不自由なく暮らしているように見えても、小学校の「9歳の壁」により、高学年で教科学習につまずく子が一気に増えます。言語力が十分ではないからです。また聞こえないことを劣ったことと悩み、引きこもりがちになる子も珍しくありません。また、学校生活は問題なくても、社会に出るときの就労、就労継続でつまずく人がいる。さまざまなライフステージでバリアーがあります。

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人工内耳を入れて音声言語で育った人に、「どんなことに一番困っているか」をたずねたことがあります。すると、「人の話がぜんぶきちんと聞こえているわけではないけれど、周囲の人にはそれがわからない。ぜんぶ聞こえているように見なされることが困る」ということでした。

一方、手話で育った子はろう学校に通うので、環境が整っており、先生方が自信をつける教育を心掛けるので、挫折が少ないです。しかし、就労先は限られています。

双方のケースを見てきて、これらの問題は、はたして個人の問題なのだろうか? と疑問を憶えました。人工内耳装用児も手話言語話者も、どんなに本人が努力しても、社会の壁が残ってしまい、完璧ではない。それは社会の側の問題なのではないかと思うようになりました。私が「共生社会」が必要だと考える理由です。

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■21世紀、「障害」のとらえ方が大きく変わった

−−−−−−障害者をだれひとり取り残さない「共生社会」の概念とはどんなものですか?

「障害者の人権」が提唱されるようになったのは、1980年代になってからです。世界的に、中でも欧米の社会が成熟してきたことで、障害者の人権への関心が高まってきました。「障害」のとらえ方そのものから変わり出したのです。

1980年代までは、障害とは「疾患」でした。疾患は「機能障害」を生み、「能力障害」につながり、それらが「社会的不利」につながります。それを克服するために、障害者はリハビリに取り組むべきだと考えられました。リハビリで回復しない機能は、補装具によって補えると考えられていました。

これが21世紀になって変わります。

2001年にWHOで採択された「国際生活機能分類(ICF)」による考え方で、障害者が不利益を受けるのは、障害者のせいではなく、社会が障壁をつくっているからであり、障壁を取り除くのは社会の責務であると。つまり、障害者の不利益の背景因子として、本人の特性などを含む個人因子に、社会の環境因子が加わったのです。

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参考:「ICF(国際生活機能分類) -『生きることの全体像』についての『共通言語』-」(第一回社会保障審議会統計分科会 生活機能分類専門委員会参考資料3)より改変https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002ksqi-att/2r9852000002kswh.pdf

さらに2001年には、国連総会で「障害者の権利および尊厳を保護・促進するための包括的総合的な国際条約」が提案され、2006年に国際人権法に基づく「障害者権利条約」として採択されました。障害者が差別や貧困にさらされやすい現状を認識し、個人および社会は障害者の人権を増進、擁護するために努力する義務と責任を負うというものです。

日本においては、2013年の「障害者差別解消法」の成立に伴い、障害者権利条約を批准しています。これが共生社会の概念の礎となり、障害者の人権を守る法的根拠になっています。 

−−−−−−日本では2019年に「難聴対策推進議員連盟」が設立されています。中川先生は議連の提言に基づいて、厚労省で行われた難聴児の早期発見・早期療育推進の検討会の座長を務めていらっしゃいます。本連盟の目的を教えてください。

まさに「難聴者が誰一人取り残されず、生き生きと心豊かに暮らすことのできる社会の実現」をめざしています。2019年に、先天性難聴に限らず、加齢性難聴も含めた要望書「Japan Hearing Vision」をまとめました。大きく3つの柱があります。

 

①出生前、新生時期および小児期における難聴対策

②成人期・老年期における難聴対策

③ライフサイクルに応じた難聴対策を支える基盤づくり

 

まず、①の小児難聴に重点的に取り組みます。新生児聴覚検査(NHS)で必要な自動ABRの購入補助、関係機関による協議会の設置など、NHS体制の整備が急がれます。 

■福岡県の医療機関と療育機関の連携システム

−−−−−−福岡県では医療機関と療育機関が協力して、聞こえにくい子どもを支援する連携システムがあります。

福岡県では1996年から、家庭と医師と聾学校の先生が連携し、聞こえにくい子どものサポート体制をつくりあげてきました。とくに教育機関と医師が、定期的に懇談会を開いて情報交換を行い、難聴児に対する理解を深め合ってきました。

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中川先生作成

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懇話会の様子。難聴児について情報交換し、理解を深め合う大切な場。

2021年1月には、県の医師会で委託事業を行うメディカルセンターに「福岡県乳幼児聴覚支援センター」が開設されました。ろう教育の免許を持つ教諭、小児難聴を専門とする言語聴覚士が嘱託雇用されています。おもに、難聴児のモニタリング(NHSの精度管理、NHS後のアウトカムに関する調査)、トラッキング(NHSで要精査になった子の追跡など)、当事者や家族からの電話相談窓口の役割などがあります。

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福岡県乳児聴覚支援センターのスタッフの皆さん。

難聴児の発見には、NHSの実施の徹底、その後の迅速なサポートが重要ですが、医療、療育機関が単独では対応できない部分もあり、行政の適切な介入が求められます。

−−−−−−センターの開設によって、どんな効果が生まれていますか?

いちばんの特長は、難聴児に対して人工内耳、手話などの選択肢を中立な立場からアドバイスできる相談窓口ができたことだと思います。

もうひとつは、県が医師会に委託して公益性を持たせているので、私が現場を退いても運営できる体制ができました。持続可能なシステムであることが重要ですね。ぜひ全国的に広がっていってほしいと思います。

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−−−−−−今後、共生社会を実現するに辺り、課題は何でしょうか?

個人ひとりひとりの障害者に対する理解が深まっていると感じます。共生社会の理念はみなさん賛成してくれる。しかしまだ、むずかしい現実もあります。ちょっと想像してみてください。たとえば自分の仕事場の、3〜4人のチームに難聴の人が入ってきたとします。手話が常に必要となる……どう思われますか? 「これはめんどうだな」と思われるのではないでしょうか? 

これも個人の問題ではなく、職場の問題でもなく、社会の体制が追いついていないからですね。もちろん、手話の人も、人工内耳の人も、就労時に苦労しないよう読み書きをしっかり身につけられる体制も、よりいっそう充実させていかなくてはなりません。難聴児がその人らしく成長でき、大人になったときに自分に自信を持てるよう、自尊心を育てる支援を続けていきたいと思います。

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